SEIKOレンズの歴史<前編>
『SEIKO』といえば時計が有名ですが、SEIKOブランドのメガネレンズも長い歴史と実績を誇り、日本および世界のメガネマーケットで広く認知されています。
今回はSEIKOレンズの歴史の中で、世界初・国内初の商品についてご紹介します。
■ 1980 国産初累進レンズ「P-1レギュラー」の開発
シニア向けのレンズとして、現在主流となっている累進レンズ。
1970年後半より日本では複数の累進レンズが登場しましたが、まだ国産のものはなく、海外製レンズのみでした。海外製レンズは、視野の広さとユレ・ユガミのバランスが十分にコントロールされたものではありませんでした。
日本人の目にマッチし、掛けやすいレンズはどのようなものなのかと試行錯誤の結果、SEIKOが出した答えは、快適な装用感の為にユレ・ユガミを抑えつつ、必要十分な視野を確保したバランス設計でした。海外の製品にはこのようなコンセプトの商品はなく、理想のレンズを求めるなら、国内で、それも自社で一から製造する以外にないと、1978年に国産初の累進レンズの開発プロジェクトが立ちあがりました。
当時のSEIKOにとって、累進レンズの開発は未知の世界。どのように設計し、性能評価し、製造するのか・・・すべて手探り状態で始まりました。2年間の試行錯誤の上、誕生したのが「P-1レギュラー」という累進レンズ。現在、世界最高レベルと評される日本の累進レンズのテクノロジー。その出発点となったのが、このレンズでありました。
「P-1レギュラー」発売の2年後、さらにユレ・ユガミを抑えた「バランスソフト設計」の原型となる「P-1マイルド」を開発し、発売がスタート。従来の商品にない快適な掛け心地により発売当時からご好評をいただき、あっという間に国内の累進レンズの勢力図を塗り替えました。
さらに、「P-1マイルド」発売から2年後、アウトドア志向の方用に遠用重視設計でユレが少ないレンズ「P-1アクタス」を発表しました。当時、一枚ですべての用途を満たそうとするオールマイティ志向の累進レンズが主流でしたが、SEIKOは、さまざまなユーザーの方々の用途に合う用途別設計という概念を持ち込み、より満足いただけるようなレンズ開発を進めていきました。
■ 1985 世界初室内用累進レンズ「シニア50」
1980年頃、交流のあった信州大学眼科の先生に、「P-1マイルド」をモニターしていただいたところ、「若い頃に戻ったようだ」と高い評価をいただき、さらに「手術中に掛けても、手もとが見やすいレンズはできないだろうか」というご意見をいただきました。
「P-1マイルド」は、通常の生活で使うには問題がないものの、手術のような細かい作業をするような場面では、さらに広い手もとの視野が必要でした。
そこで、手術のような室内作業をする際に、快適に使用できる室内累進レンズの開発に着手。室内専用として考えると、手もとから中間距離(5m程度)までの範囲でいかに広い視野を確保できるかが重要。それを実現するためにSEIKOが選んだ方法は、度数が連続的に変化する累進帯の長さを25mmにすることでした。25mmの長さを実現することにより、ユレ・ユガミが少なく、手もとから中間距離に合わせた広い視野を持つレンズの商品化が実現。今で言う中近レンズになります。当時の累進レンズは大抵16mm。その中での25mmの累進レンズは世界初でした。1986年6月、それは「シニア50」という名で世の中にデビュー。それは、世界初のコンセプト"用途別設計"がカタチになった瞬間でもありました。
「シニア50」は、その後の室内用累進レンズ(近中用レンズ)の市場を創り出した歴史的な商品です。シーンに合わせて最適なレンズをというSEIKOの用途別設計の思想は、ここでも花開いたのでした。現在はさらに改良が加えられ、後継機種として「キャスター」や「ルーメスト」、「インドアLD」が販売されています。
■ 1988 世界初「非球面単焦点レンズ」
1980年頃の単焦点レンズといえば球面設計のものしかなく、「より薄いレンズがほしい」という要望に対しては、ガラスのレンズを勧めていました。それは、当時のプラスチック素材は屈折率の関係で、ガラスに比べてかなり厚かったためです。しかし、ガラスレンズは薄くはなるものの重く割れやすいため、厚くても非常に軽く、長時間装用しても苦にならないプラスチックレンズの利点を活かせるよう、SEIKOは早くから薄くて軽いプラスチックレンズを実現するために素材開発と設計開発に取り組んでいました。
その結果、開発されたのが屈折率1.60というメガネレンズ用のプラスチック素材。ハイロードという独自開発の素材で、プラスチック素材としては当時最も薄いものでした。この素材を使って最初に商品化したのが「ハイロード(MX)」です。
ただ、設計は当時一般的であった球面設計を採用。丸みを帯びた形状のため、せっかく薄い素材を使用しても、強度の場合にはレンズが前に飛び出し、格好の悪いフォルムになっていました。
そこで、プラスチック素材を使い、軽く薄いレンズを実現するために考えられたのが非球面設計です。世界最薄素材とこの非球面設計を融合させることが出来れば、待望の軽く薄いレンズが作れるはずであるとして薄さへの挑戦が再び始まりました。試行錯誤の後、最適なレンズが完成したのは1988年。1989年に「スーパーMX」として商品化し、見え方はもちろんのこと、かつてなかった軽さと薄さが実現しました。
この商品の登場は、重いガラスレンズからプラスチックレンズに切り替わるターニングポイントとなり、非球面設計レンズの時代の扉を開くこととなりました。現在、メガネレンズの95%以上がプラスチックレンズとなっています。
その後は、後継機種として「スーパールーシャス」が販売され、より薄い素材を採用した屈折率1.74の「プレステージ」、屈折率1.67の「スーパーソブリン」も発売、計3種類の非球面設計単焦点レンズのラインナップがあります。
- 次回は、【SEIKOレンズの歴史<後編>】をお送りします -
今回はSEIKOレンズの歴史の中で、世界初・国内初の商品についてご紹介します。
■ 1980 国産初累進レンズ「P-1レギュラー」の開発
シニア向けのレンズとして、現在主流となっている累進レンズ。
1970年後半より日本では複数の累進レンズが登場しましたが、まだ国産のものはなく、海外製レンズのみでした。海外製レンズは、視野の広さとユレ・ユガミのバランスが十分にコントロールされたものではありませんでした。
日本人の目にマッチし、掛けやすいレンズはどのようなものなのかと試行錯誤の結果、SEIKOが出した答えは、快適な装用感の為にユレ・ユガミを抑えつつ、必要十分な視野を確保したバランス設計でした。海外の製品にはこのようなコンセプトの商品はなく、理想のレンズを求めるなら、国内で、それも自社で一から製造する以外にないと、1978年に国産初の累進レンズの開発プロジェクトが立ちあがりました。
当時のSEIKOにとって、累進レンズの開発は未知の世界。どのように設計し、性能評価し、製造するのか・・・すべて手探り状態で始まりました。2年間の試行錯誤の上、誕生したのが「P-1レギュラー」という累進レンズ。現在、世界最高レベルと評される日本の累進レンズのテクノロジー。その出発点となったのが、このレンズでありました。
「P-1レギュラー」発売の2年後、さらにユレ・ユガミを抑えた「バランスソフト設計」の原型となる「P-1マイルド」を開発し、発売がスタート。従来の商品にない快適な掛け心地により発売当時からご好評をいただき、あっという間に国内の累進レンズの勢力図を塗り替えました。
さらに、「P-1マイルド」発売から2年後、アウトドア志向の方用に遠用重視設計でユレが少ないレンズ「P-1アクタス」を発表しました。当時、一枚ですべての用途を満たそうとするオールマイティ志向の累進レンズが主流でしたが、SEIKOは、さまざまなユーザーの方々の用途に合う用途別設計という概念を持ち込み、より満足いただけるようなレンズ開発を進めていきました。
■ 1985 世界初室内用累進レンズ「シニア50」
1980年頃、交流のあった信州大学眼科の先生に、「P-1マイルド」をモニターしていただいたところ、「若い頃に戻ったようだ」と高い評価をいただき、さらに「手術中に掛けても、手もとが見やすいレンズはできないだろうか」というご意見をいただきました。
「P-1マイルド」は、通常の生活で使うには問題がないものの、手術のような細かい作業をするような場面では、さらに広い手もとの視野が必要でした。
そこで、手術のような室内作業をする際に、快適に使用できる室内累進レンズの開発に着手。室内専用として考えると、手もとから中間距離(5m程度)までの範囲でいかに広い視野を確保できるかが重要。それを実現するためにSEIKOが選んだ方法は、度数が連続的に変化する累進帯の長さを25mmにすることでした。25mmの長さを実現することにより、ユレ・ユガミが少なく、手もとから中間距離に合わせた広い視野を持つレンズの商品化が実現。今で言う中近レンズになります。当時の累進レンズは大抵16mm。その中での25mmの累進レンズは世界初でした。1986年6月、それは「シニア50」という名で世の中にデビュー。それは、世界初のコンセプト"用途別設計"がカタチになった瞬間でもありました。
「シニア50」は、その後の室内用累進レンズ(近中用レンズ)の市場を創り出した歴史的な商品です。シーンに合わせて最適なレンズをというSEIKOの用途別設計の思想は、ここでも花開いたのでした。現在はさらに改良が加えられ、後継機種として「キャスター」や「ルーメスト」、「インドアLD」が販売されています。
■ 1988 世界初「非球面単焦点レンズ」
1980年頃の単焦点レンズといえば球面設計のものしかなく、「より薄いレンズがほしい」という要望に対しては、ガラスのレンズを勧めていました。それは、当時のプラスチック素材は屈折率の関係で、ガラスに比べてかなり厚かったためです。しかし、ガラスレンズは薄くはなるものの重く割れやすいため、厚くても非常に軽く、長時間装用しても苦にならないプラスチックレンズの利点を活かせるよう、SEIKOは早くから薄くて軽いプラスチックレンズを実現するために素材開発と設計開発に取り組んでいました。
その結果、開発されたのが屈折率1.60というメガネレンズ用のプラスチック素材。ハイロードという独自開発の素材で、プラスチック素材としては当時最も薄いものでした。この素材を使って最初に商品化したのが「ハイロード(MX)」です。
ただ、設計は当時一般的であった球面設計を採用。丸みを帯びた形状のため、せっかく薄い素材を使用しても、強度の場合にはレンズが前に飛び出し、格好の悪いフォルムになっていました。
そこで、プラスチック素材を使い、軽く薄いレンズを実現するために考えられたのが非球面設計です。世界最薄素材とこの非球面設計を融合させることが出来れば、待望の軽く薄いレンズが作れるはずであるとして薄さへの挑戦が再び始まりました。試行錯誤の後、最適なレンズが完成したのは1988年。1989年に「スーパーMX」として商品化し、見え方はもちろんのこと、かつてなかった軽さと薄さが実現しました。
この商品の登場は、重いガラスレンズからプラスチックレンズに切り替わるターニングポイントとなり、非球面設計レンズの時代の扉を開くこととなりました。現在、メガネレンズの95%以上がプラスチックレンズとなっています。
その後は、後継機種として「スーパールーシャス」が販売され、より薄い素材を採用した屈折率1.74の「プレステージ」、屈折率1.67の「スーパーソブリン」も発売、計3種類の非球面設計単焦点レンズのラインナップがあります。
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