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目とメガネに関する豆知識

さて、今回のコラムは以前もお届けした『目と脳の不思議』の第2弾です。



■1.前回のおさらい ~ 「見る」は目と脳の共同作業


前回の『目と脳の不思議』では、目と脳がいかに密接な関係をもって私たちの生活に重要なかかわりを持っているかをご説明しました。

目から見たものは眼の「角膜と水晶体」を通って「網膜」で電気信号に変換され、視神経を通ってようやく脳にたどりつきます。
視神経を通過することによってその信号が「位置・運動を認識する経路」と「色・形を認識する経路」に分かれ、 そこで再び脳の中で統合されて、ようやくみなさんがいつも見ている「映像」として見ることができるのです。

「見る」という行為には、目と脳との緊密な共同作業が欠かせないといえます。

前回の詳しい説明はこちらから > 目と脳の不思議 パート1



■2.目と脳はクリエイティブ?!


目と脳の素晴らしい連携プレイで、私たちは日々いろんなものを見ることができます。
しかし、その目から入ってくる画像を処理する「脳」の方では、私たちにとっては思いのほか不思議な作用をしていることがよくあるんですよ。


▼光はいつもどこから?

下の画像、(A)を見てください。


画像(A)

左の列がでっぱった球で、右の列がへこんだ球に見えませんか?

実はこの絵をさかさまにして見てみると、ふしぎなことにまた同じように左の列がでっぱっていて、右がへこんでいるように見えます。
なぜこう見えるかというと、人の脳は「光は上から当たるもの」と思いこんでいるからなのだそうです。
なぜそう思い込んでいるのかはまだわからないそうですが、もしかしたら太古の昔から、人は常に「光(=太陽) は上から当たるもの」と感じていたせいなのかもしれませんね。

このように、目と脳はときどき勝手に誤解をしてものを見ることがあるのです。



▼「盲点」を体感しよう!

次は(B)の画像です。


画像(B)

まず、ブラウザから40センチほど離れた位置で、このB図が顔の正面に来るようにして見てください。右目を隠し、左目で右側の小さな方の点を見つめながら、ゆっくりとブラウザに近付いていくと・・・。

左にある大きな点が、いきなりフッと消えてなくなる「点」がありませんか?
そこがあなたの「盲点」なのです。

人は誰しもが普段、「視野に入ってくるもの全てがちゃんと見えている」つもりになりがちです。しかし、視野の中には絶対に見えない部分が存在します。

にもかかわらず、なぜ普段私たちは「見えていない」視野が存在することをまったく意識することなく生活しているのでしょうか?

それは「脳」が自分にとって都合の悪いことをひどく嫌うという、いささかわがままともいえる性質を持っているからなのです。
身に覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

さっきの(B)と同じように、この(C)の図を試してみましょう。


画像(C)

今度は左の大きな点が消えてなくなるだけではなく、その上下の線が「つながって見える」のがわかりましたか?

これは脳が、見えない部分についてなんとか整合性を持たせようとする余り、ありもしない線と線をつなごうとしてしまうのです。
しかもご丁寧に白でも黒でもなくグレーになっている場合は、「きっと白と黒の中間の色だろう」と脳が想像しているからなのですね。

自分に理解できないことが起こると、脳はなんとしても「自分にはわかるように」理解してしまうことから、こんな奇妙な現象が起こるんですね。

さてさて、さらにこの(D)の図でも同じように試してみましょう。


画像(D)

いかがでしたか? 今度はまったく違う図形が現れましたよね?
真ん中の点が消えて、白い線が中央で交わっているように見えてしまいます。
このように、図にはまったく存在していない線まで出てきてしまう。

これは脳が、自分に見えていない部分を「たぶんこうなっているのだろう」と、自分なりに合理的に解決した結果、 中央の点が消えて、ありもしない線が生まれてきてしまったというわけです。

見るものを錯覚したり勝手に図形を作ったり消したり、こうやって考えると目や脳の働きは曖昧なもの。意外とものを客観的に見ていない機能なのですね。



■3.脳は頑固だ


「隠れた動物」という有名な絵があります。
一見、どこの山にでもある繁みと岩場のようにしか見えないのですが、ある見方をすると、一瞬にして「岩に止まる鷲」と「嗅ぎまわるダルメシアン犬」が浮かび上がって見えるようになります。

不思議なことに、一度この絵に「鷲」と「犬」を見つけてしまった人は、もうこの絵を以前と同じように見ることはできないのです。
その人はおそらく、一年たってもこの絵は「ただの風景」ではなく、「鷲と犬のいる風景」にして見てしまうでしょう。

このような絵をよく「だまし絵」といいます。有名なところでは「ルビンの壷」「婦人と老婆」といった、これと似たようなパターンの絵があります。

どれも脳の思い込みを利用した「錯視」をテーマにしていますが、このように脳は常に新しい刺激を求めている一方で、「一度分類してしまうと、それ以外の分類の仕方ができなくなってしまう」という性質を持っています。

脳は無意識のうちに「これはこう」という固定観念を持ちたがるものなんですね。一回やってしまったものの見方が消せなくて、自身も気づかぬうちに頑固な動きをしてしまっていることがよくありそうです。



■4.『頑固な脳』を『やわらかい脳』へ。


同じ絵を見ても気持ちひとつで違うものに見えたり、過去の経験にとらわれた見方をしてしまったり、勝手に絵を変えてしまったり。人の目(脳)は思ったより複雑なものですね。

ものの見え方同様、物事(概念)の捉えかたは固定観念に邪魔をされて、ひとつの捉えかたしかできていなかったり、自分の思い込みだけで決めてかかり事実とは異なった捉えかたをしている部分があるのかもしれません。

意識的に、自分とは違う考え方をする人と交わったり、「これはこういう見方もいけるのでは…?」という多元的な視点を持つように心がけると、自分自身の物事の捉え方も変わったり、幅が広がったりするかもしれませんね。

たまにはいつもかけているメガネをメンテナンスしてみたり、たまには取り替えてみたりして、新しい「見え方」にトライしてみるのも、脳のいい気分転換になるかもしれませんよ。